倫理観がない人の特徴
人からの評価を気にしない
倫理観のない人は自分自身勝手な行動をしがちです。
プライベートではもちろんのこと、仕事でも周りへの配慮が欠如した行動を取ってしまう傾向にあります。
これはどうしてかというと、倫理観のない人は他人からの評価を気にしていない傾向にあるからです。
普通人は他人からの評価を気にして生きています。
他人からの評価は仕事でもプライベートでも、生きていくためにはとても大事な要因です。
本当は自分自身勝手に振舞いたい人も、他人からどう思われているかが気になってしまい、倫理観を持っているように振舞うのが普通です。
他人から評価されなければ、人間関係を作ることはできず、友人関係や仕事で破綻してしまうと思います。
すぐに人の悪口を言ったり、人を裏切ったりする人は人から信用されません。
しかし、倫理観のない人はそうしたことをあまり気にかけません。
むしろ、他人からの評価を下げるような自分自身勝手な行動をして、楽な思いをしています。
他人の悪口であろうと言いたいことは言い、他人との約束を守らなかったりと、本人にとっては楽なのと思います。
それによって他人からの評価が下がるデメリットよりも、自分自身勝手に振舞うメリットの方が大きいと考えているのです。
善悪の判断がつかない
普通の人は自分自身の行いについて、善や悪という判断を行うことが可能です。
例をあげると、イジメはしてはいけないとか、困っている人は助けなければならない、など小学生でもわかる基本的なことです。
しかし倫理観のない人は何らかの理由でこの判断が可能でせん。
善悪についての常識的感覚がない人もいれば、知っていても普段意識することがない人もいます。
いずれにしても、他人から見れば善悪の判断が分かっておらず、倫理観のない人だと思われることと思います。
こうした人は平気で人を傷つけるようなことを言いますし、困っている人を助けたりなどしません。
とにかく自分自身の好きなように振舞うのが特徴です。
善悪の判断が付かない人でも時には善い行いをしますが、それはその時たまたま自分自身が得をするから行うに過ぎません。
ちゃんとと善悪の判断が付く人が見れば、そのうちボロが出るのが分かると思います。
原因としてはいろいろ考えられますが、幼少期の親の教育が大きな割合を占めています。
本人の責任だけではないと思いますが、改善してもらうためにも周りの人は毅然とした態度で接することが大事です。
他人への共感力が低い
倫理観のない人は、他人への共感力が低い人が多いです。
そういう人は自分自身が他人を苦しませる言動を行っても可愛そうなどという感情を持ちません。
人の心が分からないのです。
仮に、倫理や道徳などの常識的な知識を持っていても、他人に共感できないと常識的な振舞いができなくなってしまいます。
他人に悪口を言うのはいけないと分かっていても、相手の気持ちが分からないので、ついつい本能的な行動を取ってしまい、悪口を言ってしまうのです。
こういう人は相手から注意されると、ある程度の理解は示しますが、本当に反省をすることはありません。
深く反省するということは、相手に悪いと思ってはじめて可能なことなのでです。
どうして他人への共感力が低い人がいるかというと、遺伝的なことや幼少期の環境によるものが大きいと考えられています。
もともと他人に共感する能力に欠けている人もいれば、幼少期に親に向き合ってもらえなかった人もいると思います。
もちろん、ある程度年齢が行けば、学校や地域社会などで常識が身に付くため、改善はされます。
しかし、共感する能力が低いため、ついつい身勝手な行動を取ってしまうのです。
倫理観の欠如の原因
他人に共感する能力がない
倫理観が欠如している原因として、もっとも多いことは「共感能力の欠如」です。
通常の人であれば、「こんなことをしたら他人が嫌がるだろう」「他人が迷惑に思うだろう」などと他人の気持ちを思いやったり推測したりして、どれほど自分自身がやりたいことや欲しいものがあってもぐっとそれを我慢します。
しかし、共感能力が欠如している人のとき、他人の思考や状況を考えるということが可能でせん。
たとえばお金が欲しいと思ったとき、「お金を盗むのは犯罪なので」と言うこと以外にも、「持ち主もこのお金を必要としているはずだ」「なのでそのお金を盗んではいけない」というふうに考えて、お金を盗むことはしないはずです。
しかし、共感能力が欠如している人にとって、他人の存在は物や風景と同じ。
なので、存在しない相手が困るなどということは考えることができず、簡単に人のお金を盗むという行動を取ってしまいます。
このように共感能力が徹底的に欠如した人は、サイコパスやソシオパスなどと呼ばれることもあり、「反社会性パーソナリティ障害」という人格障害の一種として診断を受けることもあります。
ただし、そこまで他人に対して共感する能力が欠如しているとはいえなくても、同じように倫理観が欠如している人もいます。
これは共感能力が低下している、あるいは想像力が低下していると考えることが可能です。
たとえば、道路を車で暴走している様子や、バイト先のお店などでいたずらをしている様子を撮影し、SNSなどにアップするといった行動がこれに当たります。
普通なら、こんなことをしてはいけないと思う以外にも、それを他人に知られたら大きな問題になるかもしれないと想像し、自分自身の行動に歯止めをかけるものです。
しかし想像力が欠如しているとき、自分自身の行動を他人が見たとき、自分自身と同じようにきっと面白がるだろうと考えるだけで、それがどのような結果につながるのかを想像することが可能でせん。
なので、周りの人が眉をひそめるような行動を平気で取ってしまう傾向にあります。
ただし、想像力は鍛えたり、補ったりすることが可能です。
他人がどのように考えたり感じたりするのかということや、周りに迷惑をかけることはやってはいけないことだなどということをちゃんとと教えることで、改めて倫理観を取り戻せる可能性もあります。
ごまかせると思っている
物を盗む、人を傷つけるといったときには、ほとんどの人が「これはやってはいけないことだ」ということを常識で知っています。
しかし、物を盗んだり人を傷つけるという行動はとらなかったとしても平気で嘘を吐く人は少なくありません。
また、預けたものを紛失しても平気だったり、約束を守らないといった倫理観の欠如を示している人は周りに一人や二人はいるのではないと思いますか。
こういった倫理観の欠如の原因は、「ごまかせると思っているから」と考えることが可能です。
たとえば「どうして時間通りに来ないの?」と訊ねたときに、たとえそうではなかったとしても「電車が遅れた」「急ぎの電話がかかってきた」など、平気で嘘の言い訳をする人がいますが、これは嘘を吐いてもばれないと思っているから。
パートナーに隠れて浮気や不倫を繰り返す人も同様で、「ばれなければかまわない」と思っています。
実はこのタイプの倫理観の欠如は学習によるものです。
過去に嘘を吐いたけどばれなかった、うまくごまかせたという経験があり、それが積み重なって嘘を吐くことに抵抗がなくなっている状態です。
しかし、嘘をごまかすためには平気で嘘を重ねるようなこともあり、倫理観が欠如しているタイプとしては、深刻と言えるかもしれません。
過去にトラウマを持っている
虐待や体罰といったことを繰り返す人のとき、倫理観が欠如している原因として過去のトラウマが考えられます。
自分自身も同じように虐待や体罰を受けた経験があり、その体験が自分自身を虐待や体罰に駆り立てている可能性があります。
小さな子どもや自分自身より力がないもの、立場が弱い人に対しては、通常であれば暴力や暴言などによって相手を傷つけてはいけないと思うものですが、過去に自分自身も同じような経験があり、不幸にして誰からも守ってもらえなかったというとき、そのときの自分自身の姿を現在の自分自身に重ねることで、過去のトラウマから自分自身を守ろうとしているのです。
過去に虐待や体罰を受けた人のほうがそのつらさを知っているのなので、余計に虐待や体罰を行わないものと考えるかもしれませんが、実際はその逆。
頭では虐待や体罰はいけないことだと分かっていながら、虐待や体罰を否定すると、それを受けて育った自分自身を否定することにもつながるため、結果として自分自身自身も弱い相手に暴力をふるってしまうのです。
このとき、まずは過去のトラウマと向き合い、自分自身自身の心を癒してやることが必要になります。
倫理観を高める方法
嘘を良しとせず誠実さを心がける
倫理観を高めるためには、人と接する時にいつも誠実であることを心がけることが大事です。
抵抗なく嘘をつくような人とは信頼関係が築けませんし、自分自身の価値や信用度をその都度下げてしまいます。
モラルをちゃんとを持っていて何事も真摯に取り組み、自分自身を誤魔化さずに真っ直ぐに見つめられる人というのは、能力的に優れている優れていないに関わらず人から好かれるものです。
逆に、取り繕うために嘘ばかりついていて、いつもどこかで後ろめたさを持っているような人は言動に誠意が感じられません。
周囲の人を観察してみても、人に対して嘘か本当かどうか分からないことばかり言う人とは接していて気持ちいいものではないと感じると思います。
倫理観の低い人というのは日常的に嘘をつくことに何の抵抗もありません。
真実よりも見栄を大事にしていて、自分自身を強く見せることばかりに拘っています。
自分自身をいつも主体的に考えており、中身が空っぽでも他人によく見えていればいいという考えは処分して、何よりも自分自身自身に一番誠実でいることを意識することが、倫理観を高めるために大事なことなのです。
自分自身が何をすべきか客観的に見て把握する
常に自分自身自身や状況を客観視することを心がけ、この場でどう動くことを優先するべきか、どういう言動が求められているのか、何が正しくて何が悪いのかということを一方的な価値観だけではなく、いろいろな意見や見かたを参考にしつつ判断する能力を養わなければなりません。
倫理観というのはいろいろな捉えかたがありますが、わかりやすく言えば、人に迷惑をかけないように決められたルールをちゃんとと守ることだったり、人としてどういう行動を取るのが正しいのかを考えること、そして、間違っていることを指摘する強さがあることなどが挙げられます。
置かれている状況や立場をちゃんとと把握しつつ、自分自身に何が求められているのか、どうするのがベストなのかをいつも考える癖をつけて、なおかつ思いやりを持って人と接することが大事なのです。
時には自分自身が正しいと思ってしたことが間違っていることもあると思います。
そうした時には素直に過ちを認め、受け入れて直していく柔軟性も必要です。
生きていく上で人はいろいろなルールに縛られていますが、倫理観を高めるということはその中で行動に責任を持ち、正しくあろうとする努力を怠らないことです。
貞操観念をちゃんとと持ち恋愛には慎重になる
倫理観の低い人というのは自分自身自身を軽視しており、機会さえあれば躊躇せずに安売りしてしまう傾向にあります。
貞操観念が希薄なのでその時だけ楽しければいい、一時の快楽を得られればいいと考えて、同じように貞操観念の薄い人に近づいて関係を持とうとしてしまうのです。
類は友を呼ぶといいますが、倫理観は同程度のものを持っている人同士の結びつきが強くなる傾向にあり、友人も恋人も信頼可能な人達が多ければ多いほど、倫理観が高いと言えます。
逆に、いつも人間関係や恋愛関係でゴタゴタ続きで揉めているという落ちつきのないタイプは、倫理観の低い人ばかりです。
倫理観を高めたいのであれば、何よりも自分自身自身を大事にしてください。
いい人間関係を作るためには、恋愛関係や性的な関係を築くいていくことに対しても慎重さ、相手への配慮を忘れないことが必要になります。
そうしていけば相手を不用意に傷つけてしまうことが減りますし、その場しのぎの関係を作らないこと、快楽に逃げないことで、本当に相手のことを考えてくれる大事でかけがえのない相手にも巡り会えます。